なぜ「知っているのに動けない」状況が起こるのか?
多くのプロダクトマネージャー(PdM)が「アジャイルやリーンといったフレームワークは十分理解している」「顧客インタビューも一通り経験した」と自負しながら、それらを本番で“活かし切れていない”と感じることはあるある
本記事では、こうした「理解」と「実践」のギャップを深く掘り下げます。認知科学・行動経済学・組織論・教育学などの分野の僕が知っている|、調べた範囲での知識を踏まえて、「分かっているのに動けない」現象に切り込んでみます。
“理解”と“実践”の間にある深い溝:Dreyfusモデルの先へ
はじめに紹介するのが、「初心者 → 熟練者 → エキスパート」という成長プロセスを体系化したDreyfus兄弟の五段階モデル(Dreyfus & Dreyfus, 1980)。具体的には以下のようなモデルです。
段階 | 状態の特徴 | 例(PdMの場合) |
---|---|---|
初心者 | ルール通りに行うが、状況に応じた判断はできない | 「スクラムは朝会を毎日やる」、けど本質を理解せず形骸化 |
アドバンスドビギナー | ある程度の実務経験でルールを組み合わせ始めるが、例外対応が難しい | ユーザーインタビューでの「質問枠組み」は分かるが、想定外の回答に即応できない |
コンピテント | 状況に応じて優先度を調整し、自律的にタスク配分ができる | 仮説構築からUI改善までを俯瞰し、やるべき施策を整理して推進可能 |
プロフィシエント | 状況判断が直感的で、必要なら新ルールを生み出す柔軟性がある | ログ分析で浮上した潜在ニーズを素早く捉え、ユーザーに追加質問を投げ即興で検証 |
エキスパート | 高度な直感と経験則を融合し、新規フレームワークを創造・改善できる | アジャイルの原則を自社文脈に再構築し、独自の成功パターンを生み出す |
「分かったのにできない」という現象は、アドバンスドビギナーからコンピテントへの壁で立ち止まっていることが多いそう。そこを突破するためには「スキルをただ適用する」だけでなく、メタ認知的に自分の弱点を把握しながら、実践方法や強度などを変える必要があります。
Deliberate Practiceだけでは足りない:Ericsson研究の「盲点」
また、スキル習得の文脈で頻繁に語られるのが、Anders EricssonによるDeliberate Practice(熟達化のための意図的練習)。Ericsson & Pool (2016)“Peak”は、「優秀なピアニストやチェスプレイヤーは難所に集中的に取り組み、即時フィードバックを積み重ねる」と示します。PdMも、ユーザーインタビューやロードマップ策定を細かくタスク分解し、難易度の高いところを集中的に鍛えればスキル向上が期待できます。
ただし、この枠組みには盲点もあります。Ericssonが扱った例の多くは「個人のパフォーマンス競技」が中心でした。PdMのように、組織、ユーザー、市場など多様なステークホルダーを巻き込む役割では、個人スキルだけでなく組織との相互作用や集団的学習の視点が欠かせません。
実際、ユーザーインタビューのバイアスを排除したり、タスク連関分析を効果的に行うには、PdM個人が練習するだけでなく、デザイナーやエンジニア、セールスとの連携ルールや実験フローを整備する必要があります。ここでヒントになるのが、Chris Argyrisの組織学習論やDonald Schönの「反省的実践家(Reflective Practitioner)」概念です。たとえば、ユーザーインタビューの録音をチームで一緒にレビューし、学習と改善の方針を集団で合意する。これにより個人だけでなくチーム全体が熟達化に向けて足並みを揃えられます。
つまり、個人の成功と失敗をみんなで学習する仕組み(ex, 金曜日のwin-sessionなど)が必要なのです。
チームをFlow状態にするPdM
Mihaly Csikszentmihalyi (1990)のFlow理論は、「スキルと課題難易度が釣り合うと人は深い集中=Flow状態を得られる」と説きます。けれどPdMはもっと視座を上げて、「チーム全員をFlow状態に入れられるか?」というチームFlowを意識している方が多いと思います。単に自分のモチベーションが上がったところで、チームや上司のモチベーションや集中力などが伴わないと、「人を動かす」役割であるPdMの成功はないと思います。

そこで、以下のような打ち手が考えられます。
- 課題の具体化+適度なチャレンジ: たとえば、OKRを“10%売上成長”などざっくり設定するのではなく、「3か月以内に無料ユーザーを20%有料転換する」と区切る。あえて高めのハードルを設定しつつ、スプリントで刻んで進捗を可視化し、チームが「頑張れば乗り越えられる挑戦」と認識できる状態を作る。
- フィードバック: 1〜2週間ごとにデータレビューと“失敗に対する称賛”の場を設ける。つまり実験が失敗したら、「OK、Nice Try!」を賞賛する形です。それがどんなに貴重なリソースを失った取り組みだったとしても(もちろん、振り返りと改善は必要です)。Project Aristotle (2016)でGoogleが示したように、心理的安全性が担保されれば、PdMは学習フェーズで積極的に検証・失敗を試み、そこから得た知見を組織に還元できる。
プロスペクト理論×集団心理:リスク回避が形骸化を生む
行動経済学のTversky & Kahneman (1979)が提示したプロスペクト理論は、「人は損失を過剰に恐れる」傾向を明らかにしました。PdMが斬新な施策や研究的アプローチを提案するとき、部門や上層部が「本当に成果出るのか? リスク大きくないか?」と反発しがちなのは、この損失回避性が組織心理に働いている可能性が高いです。
一方、Argyris & Schönは「自己防衛的な組織文化では、表面的な理解しか浸透せず、実行フェーズで腰が引ける」と警告しています。つまり、リーンスタートアップやアジャイルなどの言葉だけが社内に広がっても、「万一失敗したら厳しく責められる」という雰囲気があると、誰も本気で動かなくなってしまう。この状態が、Harvard Business Review (2015)が指摘する「知っているが試さない」形骸化の典型例です。
- 打ち手1:小規模リリース+検証
Airbnbが地域ガイド機能を特定エリア限定で試験投入したように、影響範囲を限定すると損失リスクをコントロールしやすい。 - 打ち手2:安全策や“フェーズ撤退”を明示
「もし1か月でKPIに未達なら本番リリースを見送る」など、柔軟な撤退ルールを用意することで、損失回避バイアスを緩和する。
このように、小さく試し、失敗を分析しやすい環境が「理解した理論」を形骸化させずに実行へ繋ぐカギになるといえます。
行動設計は「実務×組織×個人」の三次元で考える
Implementation Intentionと習慣形成の融合
従来のSheeran (2002)によるImplementation Intention(If-Thenプラン)は個人の行動変容に焦点を当てていました。例えば「もし週次KPIが目標から−5%以上逸脱したら、来週必ず2人のロイヤルユーザーにインタビューする」。しかしPdMが組織で成果を出すには、チーム全体の習慣形成が必要になります。
そこでJames Clear (2018)のハビットループをチーム導入するイメージが有効です。
要素 | チーム導入の工夫 |
---|---|
Cue(きっかけ) | 週次のスタンドアップで“KPI差分”を可視化 Slackで週次レポートを自動投稿し |
Routine(行動) | 差分があれば即ドッグフーディング、追加インタビュー予約、ユーザビリティテスト実施など |
Reward(報酬) | 成功時のみならず“失敗学習の共有”も称賛 「挑戦してみた」行為自体を歓迎する文化でモチベ維持 |
たとえばShopifyは「Pull Requestを出すとSlack Botがスタンプで褒める」仕組みを導入(Shopify Dev Blog, 2021)して開発者の行動を後押ししたそう。まあそれだけでめっちゃやるぞ!とはやらない方も多いかもですが、例えばそんなイメージです。
こうして個人レベルのIf-Thenプランと、チーム全体のハビットループを掛け合わせると、知識を行動に落とす仕組みが多層的に整備されます。
「浅い自己啓発」に陥らないための具体アクション
ありがちな自己啓発書は「行動しよう」「失敗を恐れずやってみよう」と精神論で終わることが多いですが、それではPdMが直面するハードな現実は動きません。こんな感じのアクションや仕組みづくりが例えば考えられます。
- 1. ダブルループ学習を意識したふりかえり会
週次のふりかえり(レトロスペクティブ)で、「今回どう動いたか」だけでなく、「そもそも我々の前提や判断基準は妥当だったか」も掘り下げる。Argyris & Schönが提示するダブルループ学習を取り入れることで、フレームワークの形だけではなく自分たちの思考回路をアップデートする。 - 2. 音声・動画のチームレビュー
インタビューやユーザビリティテストの録音・録画をチームで視聴し、そこでの質問の質・ユーザーの反応を複数視点で評価。個々人のスキル練習にとどまらず、チーム内での認識ギャップを同時に解消する。 - 3. ミニ・デリバレートプラクティス:難所を意図的に攻める
例えばインタビューで一番苦手な「想定外の質問」を扱う部分を繰り返し練習する時間を作る。録音を聞き返し、その日のうちに改善。Ericsson的アプローチをただのイメージで終わらせず、高い負荷ゾーンに踏み込む。 - 4. 組織を動かすためのIf-Thenルール
「もしエンゲージメント指標が特定水準を下回ったら○○チームと協議」「もしバグ率が上昇したら急ぎCS・PM連携のワークショップを開催」など、チームで共有のIf-Thenを定義。ロイヤルユーザー深掘りも同様に条件付きで自動化。 - 5. 小規模実験の“終了条件”を明示
「1ヶ月内でKPI未達なら撤退 or ピボット」など撤退ラインを定め、損失回避バイアスを緩和する。これがあると組織が新施策にチャレンジしやすい。
Q&A
Q1. 結局、時間をかけて練習しろという話ですか?
A. 時間を増やすというより、高負荷×短期間の反復が重要です。Ericssonの研究によれば、トップレベルの熟達者ほど「漫然とした長時間」ではなく「集中した短時間」を反復しています。またPdMの場合、組織やユーザーとの接点が多いので、他チームメンバーと連動した短期集中の仕組みを作るほうが効果的です。
Q2. チームメンバーや上司がリスクを嫌がるとき、どうすれば良いでしょう?
A. まずは小さく切り分け、リスクを限定化するステップが現実的です。Kahneman & Tverskyのプロスペクト理論に配慮しつつ、“撤退時の損失を最小化できる仕組み”を併せて提案してください。さらに「失敗しても学びが得られる」と可視化し、Argyris & Schönのダブルループ学習を文化として根付かせることで、試すことそのものへの抵抗感を下げられます。
Q3. 会社全体を巻き込めなければ無意味ですか?
A. 全社的な取り組みが理想ですが、Pfeffer & Sutton (2000)が言うように、「Knowing-Doing Gap」は個人あるいは小チームの成功事例から崩せます。PdM一人が実績を示すと周りの理解が深まり、徐々に組織を動かすきっかけになります。小さな成功と実データを武器に、影響範囲を拡大していくのが常道です。
参考情報
- Dreyfus, H. L., & Dreyfus, S. E. (1980). A Five-Stage Model of the Mental Activities Involved in Directed Skill Acquisition. California Univ Berkeley Operations Research Center.
- Argyris, C., & Schön, D. (1974). Theory in Practice: Increasing Professional Effectiveness. Jossey-Bass.
- Mezirow, J. (1991). Transformative Dimensions of Adult Learning. Jossey-Bass.
- Ericsson, A., & Pool, R. (2016). Peak: Secrets from the New Science of Expertise. Houghton Mifflin Harcourt.
- Csikszentmihalyi, M. (1990). Flow: The Psychology of Optimal Experience. Harper Perennial.
- Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). “Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk.” Econometrica.
- Pfeffer, J., & Sutton, R. I. (2000). The Knowing-Doing Gap. Harvard Business School Press.
- Clear, J. (2018). Atomic Habits. Avery.
- Shopify Dev Blog (2021). “Scaling Innovation Through Hack Days.”
- Project Aristotle (2016), Google.
- Harvard Business Review (2015). “Why Strategy Execution Unravels—and What to Do About It,” by Sull, Homkes, & Sull.
- Schein, E. (2010). Organizational Culture and Leadership. Jossey-Bass.
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